山内一豊の妻 見性院次兄・遠藤慶胤250回御遠忌を美濃郡上八幡の長敬寺で三日間。土佐藩士遠藤三十郎亮胤の父(嘉永二年十一月十五日から十七日まで)(1849年)
郡上八幡城主である遠藤慶隆の弟・遠藤慶胤の死去は慶長5年=1600年11月15日(郡上八幡城の合戦や関ケ原の合戦のすぐ後)
出典:「よろつとめちゃう六番」(嘉永二酉年ヨリ同三戌年マテ)発行:「古文書よままいかい」佐藤光一より

解読文
一 十一月十五日より十七日迄、(郡上)八幡長敬寺(ちょうきょうじ)におひて、賢乗様、遠藤但馬守慶隆公様御弟同(慶胤)

助次郎様御事、慶長五年十一月十五日御逝去、弐百五拾廻御遠忌有之、十七日参詣、弟太郎右衛門名代ニ遣ス、香儀弐百銅、当村ニて当家・西脇太郎右衛門、此の家相知れ不申候、遠藤伝四郎三人也


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 「六番よろつとめちゃう」 濃州郡上郡牧村住 粟飯原豊後正 平朝臣 常流(つねはる) 嘉永二酉年ヨリ同戌年マテ