郡上八幡の町/川上朝史の近々日記帳(2022年7月より再開)

「あたらしき としのはじめに かくしこそ ちとせをかねて たのしきをつめ」 
土佐山内家
「古今和歌集」国宝(現在・高知県所有)
 巻第廿写本(高野切)巻頭歌
郡上おどり「まつさか」郡上・東氏の歴史のくだり

山内一豊の妻 美濃 郡上が出生地、戦国史に新しい光!
山内一豊夫人顕彰会へようこそ(創立1985年=昭和60年

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写真は郡上八幡城・本丸跡の城山公園
 (写真提供:全日本年金者組合郡上支部 2020年4月11日撮影 )

更新2022年(令和4)6月30日  郡上八幡の町/川上朝史の近々日記帳(2022年7月より開始)
 今朝、早朝に今町で花に水をやっていた主婦Mさんと出会う。途端に亡き御主人Mさんを思い出す。「長良川の水を守る会」の事務局で会のホームページを早くから作り、全国へ発信を続けてみえたが、もう20年以上も前になるだろうか、若くして御病気で亡くなられた。そのMさんが、「ホームページは毎日更新することが大切です。水の流れと同じで更新しないとよどんでしまいますから。」との趣旨の言葉をパソコン教室の講師かで話されました。私は、そのお言葉を守り、この「山内一豊夫人顕彰会」ホームページを更新し続けました。しかし、10数年前から、次第に私の持病の悪化やパソコンの不具合等が重なり更新が途絶えることが増えました。でも、今朝の未亡人との出会いが私にMさんの言葉を思い起こさせ、再び更新を決意しました。Mさん、有難う!
 
2021(令和3)年12月4日 

 今日は土曜日、「久々にホームページに何か手でも入れてみようかな」と開いてみました。そして日付を見て、「そうだ、今日はこのHPの主人公・見性院さま(=山内一豊公夫人)の命日だ!」と、大事なことを思い出しました。「コロナ騒動で大変な世の中ねえ。でもこのホームページの私のことも忘れないでね。朝史さん!」とでも言われそうです。ごめんなさい!早速に我が家のお仏壇に妹夫婦が作ってくれた“干し柿”をお供えしました。

2021年7月10日 今日、高知県四万十川流域の公園に「街角ピアノ」が置いてあり多くの高知県民がそれを楽しんでいる姿をテレビで見ました。これを見て私は、山内一豊夫人の出自の研究を高知県でされた故丸山和雄先生(高知女子大学名誉教授)のことを思い起こしました。先生からは父の生前中は、私の家に何度か電話をいただき私が取り次ぎました。丸山先生は高知県立図書館の山内家史料の中に、山内一豊夫人の甥にあたる遠藤三十郎の史料が見つかりその中の系図は郡上の遠藤氏の系図とピッタリ同じだったこと、さらにその御子孫(遠藤晴海氏)が安芸市に生存されてること、近江から一豊夫人になったとされた女性は一豊の家臣の五藤氏に嫁いだ人(お墓写真)のことだった、などを調べてくださった方です。父の死後、私も高知へ行き先生宅をお尋ねしました。電話の声は若々しく聞こえましたがお会いすると御高齢に感じましたがお元気でした。先生が死去されたと聞きお花を送り、後日に
先生の娘さん宅へ行きそこで御夫婦にお会いしました。丸山和雄先生は音楽の先生で通夜葬儀にはずっとクラシック音楽を流されていたと聞き驚きました。先生のご研究をこのホームページの中からご紹介します。(3点掲載)                                                                             丸山和雄論文「見性院の出自」「土佐史談」165号1984年(土佐史談会)、
丸山和雄撮影写真見性院
・遠藤三十郎御由緒書き(土佐藩召抱死の翌月)
 、
丸山和雄自筆はがき「孕石(はらみいし)元政聞書」

(女性生き生きセミナー:佐藤とき子講演2回)郡上八幡樂藝館「山内一豊の妻展」佐藤とき子原作・紙芝居「お千代物語」)(郡上の系図3)(「町家千代」歴史講座第4回=岸剱神社大神楽you-tube1986年)(町家千代・紙芝居「見性院物語」)(郡上説継承者・村瀬幸吉翁)(見性院次兄・遠藤慶胤250回忌の記録「萬留帳六番」)(先人の願い!郡上郡苅安の生誕地に大記念碑を!「美濃民俗」110号)(童門冬二先生「三番手の男」千代の出自について(見性院の遺言・甥の遠藤三十郎を土佐藩が召抱える)(郡上出生説の検証一覧表
(「若宮外記仲間」のこと)(消えた定説、山内一豊夫人の「マツ」様)(子供を亡くした一豊夫妻も大勢の園児にニッコリ)(郡上八幡城山公園「山内一豊夫妻と名馬の像」(小鳥の鳴き声入り)gujo.com桜の蜜を吸いに来たヒヨドリ・メジロ、ほかにカワラヒワの鳴き声もお楽しみ下さい=協力・日本野鳥の会岐阜のMさん)(山内一豊夫人顕彰会活動報告・計画)(見性院の母・友順尼)(
2009年「山内一豊夫人の夕べ」動画)((古今伝授の里=見性院母方先祖居住地)(尋常小学読本と鷲見甚造氏郡上出生説一覧表)(一豊死後216年目の偽書「近江・長野家由緒書」、山内家史「一豊公記」が喝破)(山内家「一豊公紀」原文)(郡上における山内一豊夫人顕彰活動のあらまし)(慈恩禅寺和尚・城下町夜ばなし)(郡上古系図・山内對馬守室の記述)(土佐上陸 追加図
新型コロナ禍で郡上踊りも中止。一豊夫妻の銅像も泣きました。(1994年=平成6年に建立:当時の司馬遼太郎さん私宛はがき)(はがき裏面本文
ついに11月21日、郡上市に感染者が1名出ました!(12月2日現在2人です。)
 NHK朝ドラ「エール」。好演する早稲田応援団長(田中隆役=三浦貴大)のことを、喫茶店主の妻(梶取恵役=仲里依紗)が、「この大馬鹿者の熱意こそが早稲田を勝たせるのよ」と言い切りました。
「山内一豊の妻は近江の人」でなく「郡上の生まれこそが真実」を懸命に説いていた初代顕彰会長の姿を思い起こさせました。

《特集:旧来の定説「近江の生まれ」の誤りを検証!》↙
一豊弟・康豊(2代・忠義の実父)の正妻は近江若宮善介女!(近江若宮喜助女と酷似!)「秘笈録」
徳川幕府最古の系図書(寛永20年=1644年)
「寛永諸家系図伝」に若宮氏女の記述なし
本家「一豊公紀」が否定(一豊と母)近江の文献
一豊死後216年後偽作「近江長野家由緒書」山内家史が喝破
浅井長政,御まつ宛て安堵状◎消えてしまった定説:山内一豊夫人「マツ」様

牛尾田文書定説の若宮左馬助女五藤内蔵助に縁組。山内伊右衛門(一豊)とではなかった!牛尾田文書全文
(マツ=千代と父・若宮左馬助を今も供養)若宮外記仲間
外記は五藤家に由来、山内家でなし
広辞苑(岩波書店)、妻は近江の浅井氏の臣若宮喜助友興の女削除

近江出生説検証一覧表



   《山内一豊夫人=見性院は郡上の生まれだった!》
「濃飛の文化財」2003年43号山内一豊の妻・見性院のこと (上)(佐藤とき子さん)
ギフネット「山内一豊の妻は郡上の人」(東京岐阜県人会報)(山内一豊夫人顕彰会 川上朝史)
丸山和雄論文「見性院の出自」「土佐史談」165号1984年(土佐史談会)
山内家「古今和歌集」郡上領主東常縁(見性院先祖)直筆が
見性院・遠藤三十郎、御由緒で土佐藩召抱え(死の翌月)

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」、明智光秀の隠された生涯にも光が
講演会「明智光秀と連歌」が8月7日、郡上市でありました。会場:(古今伝授の里F・M)新装『よぶこどり』
上記の『古今伝授』とは、山内家の国宝「古今和歌集」の奥義を、東常縁が若き連歌師・宗祇に伝授した事です。
東常縁(とうのつねより)は山内一豊夫人・見性院の母方の先祖で室町時代の郡上の領主でした。

見性院遠藤盛数(手紙)見性院
見性院従兄
遠藤見性院よねが長浜大地震で死す! 
子供を亡くした一豊夫妻も食事をとる園児たちににっこり!
最終の
一豊&千代サミット(9市2町)郡上八幡で盛大に
千代出生の里・郡上市

サミット総集編(「山内神社崇敬会報」) 18代山内豊秋氏の分析(関ヶ原千代の判断
客演:山内一豊の妻は藤原定家の末裔
土佐の菓匠・西川屋「孕(はらみ)石元政聞書」
(故丸山和雄高知女子大学名誉教授はがき)
サミットゲスト:山内豊功夫妻近藤正臣(細川幽斎役)NHK大加章雅氏2009年8月 第14回「山内一豊夫人の夕べ」 (素敵浴衣)
紙芝居
「見性院物語
千代一族
美濃郡上説は「功名が辻」原作発表(1963年)9年後に新聞発表─「諸説」に入らず
「郡上説」デビュー前。作者知らず。
  
「古今和歌集」と和歌の名家・東氏(千代の母・実家)一族
(ひろい)見性院また見つかった!一豊と遠藤の親戚軍団必見の秀吉陣立て
 見性院兄・遠藤慶隆(左馬助)小牧長久手戦妹婿・伊右衛門(一豊奮戦!
見性院山内家えた東常縁筆「古今和歌集」山内家「古今和歌集」
見性院先祖古今伝授東常縁直筆
城山の銅像の台座サイズは?!LLLサイズの一豊の足・千代の手 千代と一豊の馬 
千代の結婚時期
(高橋教雄説)/
千代室町殿・茶の金森宗和の
見性院遠藤盛数(手紙)/見性院友順尼見性院遠藤三十郎・土佐藩へ
前田利家俳優唐沢寿明「利家とマツ」が再び利家で出演)が1番手で1万人の軍勢
一豊の良きライバル・堀尾茂助(俳優生瀬勝久)は千人の軍勢(一豊・遠藤グループは1300人)
NHK大河ドラマ「功名が辻」紀行で、郡上八幡を放映

竹中半兵衛の妻と、見性院兄(遠藤慶隆)の妻は姉妹(「安東系図」)
◎土佐の高知NHKで放送された郡上八幡  ◎「司馬遼太郎を歩く」ー郡上八幡編(功名が辻)
◎「おもいっきりテレビ・今日は何の日」、見性院の兄&一豊親戚軍団の陣備表を民放で全国初放送。
「一豊公紀」に見性院の兄・遠藤慶隆の名山内家が秘匿 

郡上八幡城岐阜テレビ「みの・ひだ!」を放送華麗!たけふ菊人形「一豊と千代」
見性院「笠の緒の密書・田中孫作」(「見性院物語」第19話)
NHK生中継「山内一豊の妻は郡上の生まれ」慈恩禅寺で
 郡上八幡城山内家所持「古今和歌集」四種中に東常縁直筆が
 山内一豊夫人[見性院」郡上の系図土佐藩士系図五藤家墓浅井長政書状
見性院の深慮と甥の遠藤三十郎郡上出生説一覧
 消えた見性院の事蹟
見性院の甥(遠藤)が土佐藩に縁故採用「御侍中先祖系図帳」(1979年)
新史料
「秀吉陣立朱印状」見性院・伊右衛門見性院・左馬助同陣
見性院の結婚時期(高橋教雄説)
一豊の妻、羽柴五郎左衛門(丹羽長重公)に感謝!(新事実)
山内一豊・遠藤慶隆、左翼第二番手で奮戦! 小牧長久手合戦の陣立
山内家所持「古今和歌集」四種郡上の東常縁筆「古今和歌集」山内家→桂昌院
将軍綱吉生母・桂昌院‘和歌の二条家’家司が養育、だから東常縁筆「古今和歌集」所望!
News勅撰和歌集と東家(千代の母・生家)の人々東常縁は学者一族
ふるさと探訪で講演見性院の謎を求めて」(話:佐藤とき子さん)
18代豊秋さん先祖・山内一豊へ突撃インタビュー「土佐史談」1981年
新史料
秀吉陣立(山内遠藤軍団)
小牧長久手戦も長浜地震,一人娘失う
丸山和雄論文見性院の出自「土佐史談」1984年司馬遼太郎を歩く郡上八幡
更新山内一豊と遠藤慶隆、古今和歌集と東家「八幡町文化財保護協会」報 
「濃飛の文化財」2003年43号山内一豊の妻・見性院のこと (上)(佐藤とき子さん)
更新
「濃飛の文化財」第44号山内一豊の妻の出自
(中)母の友順尼から探る(佐藤とき子)
News「濃飛の文化財」2005年45号 山内一豊の妻・見性院(下)金森宗和とその母
(佐藤とき子)
慈恩禅寺HP慈恩禅寺の智勝院殿廟に〝山内一豊の妻の兄嫁〟
更新不破氏を探る(津川雅彦さん好演!)昔は名前をよく変えた!(伊右衛門=一豊)
信長の郡上本知安堵判物(見性院兄・遠藤慶隆宛)山内一豊&見性院関連年譜
新人物往来社『山内一豊の妻』郡上説最優位
PHP文庫「山内一豊と妻千代」も郡上!

春陽堂書店「風の峠」元祖・郡上説小説2000年角川書店「山内一豊と千代」(作:篠綾子)郡上説 

「一豊の妻・見性院出自の謎を追う」(高知・岩崎義郎著2002年11月(1500円)
見性院の深慮遠謀!/紙芝居「見性院物語ING番組「お千代物語」


見性院の母・友順尼教如上人に会う
教如の郡上隠棲見性院の母・友順尼の得度 郡上の教如住居跡

郡上八幡城の本丸跡(城山公園)に立つ「山内一豊と妻の像」「雪の中の銅像」古い町並写真
ふるさとまつり山内一豊夫人顕彰会コーナーへ千代来訪
/賑う城山本丸跡「千代の里 郡上」幟旗
御夫妻で変装コンクール出場講演会と大河試写会盛況  2005年「変装郡上おどり」〝山内一豊の妻〟優勝
       「千代の里 郡上」旗34年前(昭和61年)の郡上八幡・春まつり御輿「山内一豊夫人」
1989年(31年前)「郡上おどり変装コンクール」“山内一豊の妻”父と18代山内豊秋さん写真(39年前)
童門冬二先生「三番手の男」千代の出自について 死んだはずの岩倉城主・織田伊勢守信賢山内盛豊(一豊の父)も実は生きて!?
2007年(平成19)の郡上おどり日程表(2020年はコロナ禍で中止)
山内と遠藤の関係秘匿 (なぜ山内家では遠藤との姻戚関係を隠すようになったか。それは何時からなのか。)
 賤ヶ岳合戦(天正11年)と関連し、信長の跡目争いで岐阜の織田信孝を擁した郡上の遠藤慶隆(見性院の兄)は、信長の孫・三法師を擁立した秀吉軍に立花山(美濃市)で破れ降伏した。この時は平謝りで許された(一豊の助命嘆願があったかもしれない)。以後、慶隆らは翌年(天正12年)小牧長久手戦・翌々年(天正13年)富山の佐々成政攻めで秀吉軍として山内一豊と同陣で奮戦する。ところが3年後(天正16年)、突然に郡上を追われ東美濃の加茂郡小原へ石高半減で左遷された。稲葉一鉄の子・貞通が代りに郡上へ入った。原因は先の織田信長次男・信孝(岐阜)擁立加担という。以後、山内家・遠藤家の関係は山内家では秘匿されたと考えられる。(川上)
ニュースは管理者日記
   メールアドレス asa-929@docomo.ne.jp  

一豊顕彰会(一無心豊)ホームページへ(管理人の国枝法音さんが「功名が辻」放映の2006年9月29日亡くなられました。) 木曽川町・国枝法音さん偲ぶ会
2007年8月2日 第12回「山内一豊夫人の夕べ」賑わうオリジナル浴衣「郡上八幡・千代と馬」
2006年の一豊&千代サミット(高知)夜のパーティー

  山内一豊夫人顕彰会ホームページⅡへ続く
   

山内一豊夫人顕彰会ホームページⅢへ続く

山内一豊夫人顕彰会ホームページⅣへ続く

「山内一豊」の正しい読み方はどれ? 1.yamautikazutoyo 2.yamanoutikazutoyo 3.yamautikatutoyo 正解3 
よくある間違いの記述例:山之内一豊の妻

NHK大河「功名が辻」は57年前(当時)の原作に従う。キャスト・スタッフのお仕事ぶりが良かっただけに本当に惜しかった!
遠藤・山内の秀吉軍団古今和歌集の話など、新たな史実が生かされず残念。山内家と遠藤家は身分や境遇も似ている!
 原作執筆時に「郡上説」の本は図書館には1冊も無かった。世の中に出ていなかった。作者も山内家でも知らず。
だから、「郡上説」も含めた諸説があって、そこから司馬遼太郎氏が「近江説」をとったわけではないのです。

司馬遼太郎さんから私宛の御はがき(1994年=平成6年9月1日付、銅像除幕式の年。第1回一豊&千代サミット(掛川市)の年)
(はがき表面へ)翌年の高知サミットでも「功名が辻」大河ドラマ化を要望決議するも、司馬さんは反対されてると聞きました。


日テレ「思いっきりテレビ・きょうは何の日」2006年12月4日「見性院は郡上の生まれ」有力証拠(秀吉陣備史料)を全国放送しました
 2007年9月3日(月)より NHK衛星ハイビジョンで大河ドラマ「功名が辻」が再放送されました・50日間

〒501-4219 岐阜県郡上市八幡町大手町813  山内一豊夫人顕彰会   電話 0575-65-2639

〇更新日記2018年(平成31年)  5月22日「城下町夜ばなし」講義/6月21日 川上与三吉・初代会長生誕100年/6月23日 佐藤とき子副会長(93)一周忌/7月8日 INGでテレビ放映「城下町夜ばなし」講義 :2019年(令和元年)6月19日「大和町文化財保護協会」で講演、「山内一豊夫人・出自の決め手は古今和歌集!」 :2020年(令和2年) 5月頃から本ホームページの本格的更新を再開/6月21日 川上与三吉・初代会長27回忌法要/6月22日 “町家千代”歴史講座の第1回「郡上八幡の町家形成は、千代の父・遠藤盛数による郡上八幡城築城(永禄2年=1559年)から」/7月27日 “町家千代”歴史講座の第2回「悲劇赤谷山合戦・八幡城奪返合戦」 グーグル&ヤフー「山内一豊の妻」検索トップ6位入り/7月28日 “城下町夜ばなし”「郡上の系図」(慈恩禅寺・東宜隆和尚)/8月2日 コロナ禍で第25回縁日郡上踊り「山内一豊夫人の夕べ」中止(1996年開始以来で初)※私の戦争体験(郡上一揆の会会長・和田昌三さん)/8月12日「郡上八幡城」ホームページがグーグル検索(「山内一豊の妻」で)3位から首位に躍り出る!(3日後また3位に)/8月15日 岐阜新聞一面に和田昌三さん(終戦の日の郡上踊り)/8月24日 “町家千代”歴史講座の第3回「地元の岸剣神社の歴史」(以後プロジェクター使用)/8月25日 写真家・浅井氏(一宮市)私は(古今伝授の里の写真所持)と町家千代で/8月28日 初めて(2009年「山内一豊夫人の夕べ」動画)YouTubeにリンク貼る/8月29日 ウイキペディアへ訂正問合せ(見性院父は豊臣秀吉の誤り)。出自が滋賀県米原市は消えている/8月31日 見性院の母・友順尼年表整理/9月2日 郡上市郷土研究団体協議会提出「2019年度山内一豊夫人顕彰会活動報告・2020年度活動計画」/9月4日 郡上八幡城山公園「山内一豊夫妻と名馬の像」(小鳥の鳴き声入り)gujo.com桜の蜜を吸いに来たヒヨドリ・メジロ、ほかにカワラヒワの鳴き声もお楽しみ下さい=協力・日本野鳥の会岐阜のMさん/9月7日 子供を亡くした一豊夫妻も大勢の園児たちにニッコリ!/9月9日 リンク異常を文化堂杉本氏が修正。助かる。/9月10日 「若宮外記仲間」のこと 消えた定説「山内一豊夫人・マツ様」/9月14日 見性院の遺言・甥の遠藤三十郎を土佐藩が召抱える9月17日 童門冬二氏「三番手の男」千代の出自について/9月19日 G・検索順位4位に。すぐ5位に落ちる。/9月23日 顕彰会発足9年前の「美濃民俗」投稿文(川上与三吉)/9月24日(見性院次兄・遠藤慶胤250回忌の記録「萬留帳六番」 /9月26日 私事で恐縮ですが、初孫さくら誕生!/9月27日 (郡上説継承者・村瀬幸吉翁)/9月28日 “町家千代”歴史講座の第4回「インターネット紙芝居・見性院物語」/10月2日 郡上の系図3 /10月5日 郡上八幡樂藝館で「山内一豊の妻展」準備/10月6日 郡上八幡樂藝館「山内一豊の妻展」初日~12月13日(日)までの69日間=郡上市郷土研究団体協議会(山内一豊夫人顕彰会の担当)/10月15日 中日新聞に「樂藝館・山内一豊の妻展」記事/10月16日 早稲田大学卒論生A君に本ページ紹介(郡上の音・岸剱大神楽絵図「郡上郷土史料」)/11月16日 20日ぶりの更新(蘘荷渓房のこと)/2021年(令和3年) 昨年春より新型コロナが日本中に蔓延し11月には郡上市出第1号、6月時点45名に。その間、私事1月1日に母死去(寿歳100)。半年間も休筆し、6月15日更新再開。